 |
 |
| 竜王の名所旧跡 |
 |
| 大祭が33年に一度行われる近郷三十三ヶ村の氏神さまで、茅葺きの楼門は遠くからでも目を引きます。延喜式神名帳に名を残す長寸神社はこの社のことといわれており、正面の西本殿は三間社流造り(さんげんしゃながれづくり)桧皮ぶき、鎌倉時代の建築で国宝指定を受けています。さらに東本殿、楼門、木造不動明王像、その他多くが重要文化財に指定されています。鎮守の森にたたずむ、文化財の宝庫とも言える神社です。 |
|
 |
【所在地】滋賀県蒲生郡竜王町綾戸
【問い合わせ】0748-57-0160(苗村神社) |
|
|
 |
|
|
雪野山南山腹にある天台宗のお寺で、奈良時代前期、元明天皇(天智天皇の第4皇女)の和銅3年(710年)行基菩薩によって「雪野寺」として創建されました。しかし、度重なる火災で焼失し、平安時代に再建されて、一条天皇から「龍寿鐘殿」の勅額(直筆の額)を給わり、以来、雪野寺から「龍王寺」と改められました。地元では通称「野寺」と言われています。
木造十二神将立像12体と梵鐘は重要文化財。
梵鐘には美女と大蛇の伝説がまつわり、藤原定家や和泉式部、柿本人麿の詠んだ歌がかかげられています。
また、大江匡房の歌にも龍王寺の「野寺」が詠まれています。
毎年旧暦8月15日(仲秋)に行われる「へちま加持祈祷」はぜんそくに効くとされ、終日大勢の参拝客で賑わいます。 |
|
 |
【所在地】滋賀県蒲生郡竜王町川守
【問い合わせ】0748-57-1166(龍王寺) |
|
→龍王寺(雪野寺)ホームページへ
|
 |
|
|
| このあたりは古道 東山道、中山道(現国道8号線付近)の宿場、「鏡の宿」として栄えました。祭神の天日槍(あめのひぼこ)は金工、製陶技術を教えた新羅王子と伝えられています。この地に製陶業を興し、村の発展に努めたので祖神として祀られ、崇敬・護持されてきました。本殿は南北朝時代の建築といわれ、重要文化財に指定されています。また、源義経が清水で髪を落とした元服池や数々の文化財も興味深いです。 |
|
 |
【所在地】滋賀県蒲生郡竜王町鏡
【問い合わせ】0748-58-0959(鏡神社) |
|
→鏡の宿「義経元服ものがたり」のページへ |
 |
|
|
源平合戦で有名な源義経が鞍馬山で修行した後、京より奥州へ向かう途中で現在の竜王町鏡「鏡の宿(かがみのしゅく)」に泊まり、この池の水で前髪を落として元服したと伝えられています。
謡曲「烏帽子折」(えぼしおり)で有名。 |
|
 |
【所在地】滋賀県蒲生郡竜王町鏡
【問い合わせ】0748-58-0959(鏡神社) |
|
→鏡の宿「義経元服ものがたり」のページへ |
 |
|
|
観音像の夢のお告げにより、伝教大師が鏡山十二峰の一つ星ケ峰の麓に「西光寺」を建立されました。源頼朝(みなもとのよりとも)や足利尊氏(あしかがたかうじ)も泊まったといわれている古刹です。康平(こうへい)2年(1060)の乱で一山焼亡し中興されましたが、信長の兵火(1571)で廃寺となります。
その名残をとどめているのがこの宝篋印塔(ほうきょういんとう)で、記念宝塔として昭和35年2月に国の重要文化財に指定されました。塔の高さ210cmの堂々としたもので笠石の下の塔身の周囲は180cmです。2段の基壇を築き、その上に孔雀の向かい合っている格挟間を彫った基礎を置き、塔身、笠、相輪を積み重ねています。また、石の角に梟(ふくろう)の彫刻は、あまり例のない塔であるといわれています。
大正三年、東京帝室博物館(国立博物館の前身)の高橋健自(たかはしけんじ)氏に「他に類をみない逸品である」「この塔を見ずして他の宝篋印塔を語るなかれ」と言わしめたほど。鎌倉時代後期1300年頃の作。
→宝篋印塔を拡大して見る |
|
 |
【所在地】滋賀県蒲生郡竜王町鏡
【問い合わせ】0748-58-3715(竜王町観光協会) |
|
|
 |
|
|
西光寺の鎮守、八柱神社(やばしらじんじゃ)の社宝で高さが2.8mもある背の高い灯篭です。
裏面に「応永(おうえい)28年8月8日(1422)願主敬白」の刻銘があり、室町時代初期の作とされます。
願主は不明。
当時の様式の多くは、丸柱の中央に周帯を有するものですが、この八角柱の灯篭は特に珍しく、また笠を持ち火袋には四仏が彫られていて誠に優美な意匠を凝らした背の高い灯籠です。
重要文化財。 |
|
 |
【所在地】滋賀県蒲生郡竜王町鏡
【問い合わせ】0748-58-3715(竜王町観光協会) |
|
|
 |
|
|
西光寺跡地のお堂に祀(まつ)られている石の仁王尊で、そのうちの一体は、昔、山崩れの際に地下に埋没されたといわれています。
昔から「足の病を癒してくださる」と言い伝えがあり、毎年7月に開かれる千日会(せんにちえ)には、草鞋(わらじ)をお供えする風習があって平癒(へいゆ)を願う参拝者が今も絶えません。 |
|
 |
【所在地】滋賀県蒲生郡竜王町鏡
【問い合わせ】0748-58-3715(竜王町観光協会) |
|
|
 |
|
|
滋賀県下最大の須恵器窯跡群として著名なのが、この鏡山古窯址群です。確認されている窯跡の数は50か所以上があり、恐らくその総数は100基に達するであろうと推定します。
窯跡の分布域は、滋賀県蒲生郡竜王町薬師・小口・山中・七里・須恵・山面 ・鏡、野洲市入町・大篠原にまたがっています。この窯跡群は、6世紀前半に須恵器生産を開始し、6世紀後半から7世紀代にかけて最盛期を迎えたそうです。その後、生産は8世紀中頃まで継続することになります。
なお、この窯跡群の一部の工人集団について、「日本書紀」の中の垂仁天皇3年3月条のところに「近江国の鏡村の谷の陶人」として登場する事でも知られています。
現在の竜王町須恵地区の地名の由来は、この須恵器の窯跡の一つとして地名が生まれたと伝えられています。 |
|
 |
| 【所在地】 |
滋賀県蒲生郡竜王町鏡、山面、須恵、七里、
薬師、小口、山中 |
| 【問い合わせ】 |
0748-58-3711(竜王町教育委員会生涯学習課) |
|
|
 |
|
|
雨宮古墳は、竜王町の平野部の最奥部の祖父川が形成した谷の入り口付近に位置し、南から北へ伸びる丘陵から派生した舌状の支脈上に築かれた帆立貝形古墳です。
全長82m、後円部径67m、後円部高9m、前方部長22m、前方部幅35m、前方部高1.9mを測り、外堤をもつ一重の周壕をめぐらせています。滋賀県下第三位
の規模で、発掘調査等はまだ行なわれていませんが、後円部の墳頂から出土した滑石製勾玉 や家形埴輪片、円筒埴輪片から、5世紀中ごろに造営されたとみられます。
規模、墳形、築造技術の点で特徴があり、かつ遺存状況も良好であるため、滋賀県の古墳時代の歴史を考える上で欠く事のできないものであるといえます。 |
|
 |
【所在地】滋賀県蒲生郡竜王町岡屋
【問い合わせ】0748-58-3711 (竜王町教育委員会生涯学習課) |
|
|
 |
|
|
岩屋古墳は、墳丘の全長が約36mの横穴式石室を埋葬主体とする前方後円墳です。
石室は、江戸時代に奥壁の一枚岩に不動明王を刻み、「岩屋不動」として信仰されています。石室の現状の大きさは、玄室の長さ5.4m、幅は奥壁部1.95m、玄門部で2.5m、高さは2.4m。
古墳自体の調査が行われてないため、明確な築造年代はわかりませんが、横穴式石室の構造から6世紀中葉と考えられます。 |
|
 |
【所在地】滋賀県蒲生郡竜王町薬師
【問い合わせ】0748-58-3711 (竜王町教育委員会生涯学習課) |
|
|
 |
|
|
近江国薬師山四国八十八ケ所霊場は、昭和12年に開山。開山式には第一番霊場前から稚児八十人余りが加わって行列をなし、入仏式には岩屋不動尊前で柴燈大護摩が焚かれました。以来、毎月21日には、信者・行者の参詣は絶えることなく、平成8年の開山60周年、平成18年の開山70周年では祈願・祈祷の大護摩のほか、数珠玉に信者の名前が入った立派な巨大数珠を約50人ほどが一つの輪になってお経をあげながら回す百万遍大数珠繰りも行われました。
近江国薬師山四国八十八ケ所霊場を一巡するのには約二時間の道中です。
→柴燈大護摩供養の模様 |
|
 |
【所在地】滋賀県蒲生郡竜王町薬師
【問い合わせ】0748-58-3715 (竜王町観光協会) |
|
|
 |
|
|
| 吉田出雲守重賢居宅跡・川守城址(かわもりじょうし) |
日本の弓道史において大変重要な意味をもつ人物を多く輩出し、近代弓術確立の舞台となったのが、近江の國、蒲生郡河森・川守城(野寺城)(現在の滋賀県蒲生郡竜王町川守)です。
城主であった吉田氏は、近江源氏・六角佐々木氏に仕え、代々弓馬の武功に名高い一族でした。
その十一代目の吉田出雲守重賢(よしだいずものかみしげかた)(将軍足利義晴弓術指南役)は「日置吉田流」を編み出し近代弓道の礎を築いたと言われています。
→竜王と弓道 日置吉田流弓術 |
|
 |
【所在地】滋賀県蒲生郡竜王町川守
【問い合わせ】0748-58-3715 (竜王町観光協会) |
|
|
 |
|
|
お問合せ・担当課 竜王町観光協会 0748-58-3715 |