鏡の宿 義経元服ものがたり 滋賀県竜王町観光協会
鏡の宿 義経元服ものがたり
義経元服の地 鏡(かがみ)の里周辺の見どころ
古今和歌集にも詠われた
鏡山(かがみやま)と雲冠寺(うんかんじ)跡

歴史に知られている鏡山は、古今集にも数多くの歌人たちが詠ったように風光の秀麗と史跡が豊富であります。
山頂近くには聖徳太子26歳の時(600)に自ら観音像を彫られ創建された雲冠寺(うんかんじ)跡があります。
嵯峨天皇(809〜823)の時、伝教大師(最澄)(767〜822)に勅旨が下り再建。往時(おうじ)は、堂塔僧坊五堂、精舎千坊(1000坊)が立ち並び朝夕には梵鐘(ぼんしょう)が響き全山にこだまして、さながら釈尊(しゃくそん)の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)を偲ばせたといわれます。
雨の神・水の神ともいわれる八大竜王の一つ摩耶斯竜神(まなしりゅうじん)が竜王宮としてまつられ霊山、竜王山としても有名です。
詩興(しきょう)豊かなこの秀峯は和歌、俳句、漢詩に百余首と幾多墨客(ぼっかく)の歌枕となり近江の名山に数えられた歴史と文化の里山です。
鏡山
鏡山 君に心や うつるらむ
 いそぎたたれぬ 旅衣かな
         藤原定家(ふじわらのていか)
      かがみ山 老いぬるかげを はづかしみ
         たれこめてはが 行くと見るらん
               本居宣長(もとおりのりなが)
吾妹子(わぎもこ)が
 鏡(かがみ)の山のもみぢ葉の
  うつるときにぞ 物はかなしき
   大伴家持(おおとものやかもち)
ほととぎす 鳴くやちらりと 鏡山
       各務支考(かがみしこう)
鏡山 いざ立ち寄りて 見てゆかむ
 年経ぬる身は 老いやしぬると
     大友黒主(おおとものくろぬし)
伝教大師(最澄)建立の西光寺跡にそっとたたずむ他に類をみない逸品 重要文化財指定
西光寺(さいこうじ)跡の宝篋印塔(ほうきょういんとう)
宝篋印塔(ほうきょういんとう)
西光寺は、伝教大師(最澄)(767〜822)が夢の御告げにより鏡山十二峰の一つ星ケ峰の麓に(818)建立しました。嵯峨天皇(809〜823)の勅願所(ちょくがんしょ)で、増坊(そうぼう)三百坊といわれていました。足利尊氏(あしかがたかうじ)が、元弘(げんこう)3年4月20日(1334)、後醍醐(ごだいご)天皇に帰順(きじゅん)を表明した所でもあります。よって、その後の足利尊氏があったといわれています。
源頼朝(みなもとのよりとも)も往還の時、西光寺でしばし宿泊をしています。
康平(こうへい)2年(1060)の乱で一山焼亡し中興(ちゅうこう)されましたが、信長の兵火(1571)で廃寺となります。
その名残をとどめているのがこの宝篋印塔(ほうきょういんとう)で、記念宝塔として昭和35年2月に国の重要文化財に指定されました。塔の高さ210cmの堂々としたもので笠石の下の塔身の周囲は180cmです。2段の基壇を築き、その上に孔雀の向かい合っている格挟間を彫った基礎を置き塔身、笠、相輪を積み重ねています。また、石の角に梟(ふくろう)の彫刻は、あまり例のない塔であるといわれています。
(鳥形の塔身は、宝篋印塔の源流といわれる中国の金塗塔の伝統を示すといわれているもので、その意味でも、この宝篋印塔は大変貴重なものなのです。)
大正三年、東京帝室博物館(国立博物館の前身)の高橋健自(たかはしけんじ)氏に「他に類をみない逸品である」「この塔を見ずして他の宝篋印塔を語るなかれ」といわしめた立派なものなのです。鎌倉時代後期1300年頃の作。
珍しい背の高い灯籠 重要文化財指定
八柱神社(やばしらじんじゃ)跡の石灯籠(いしどうろう)
石灯籠 この石灯籠は、西光寺の鎮守八柱神社の社宝で高さ2.8mあり裏面に
「応永(おうえい)28年8月8日(1422)願主敬白」の刻銘があり、室町時代初期の作とされます。
願主は不明。
当時の様式の多くは、丸柱の中央に周帯を有するものですが、八角柱は珍しく笠を持ち火袋には四仏が彫られていて優美な意匠を凝らしたもので特に珍重される背の高い灯籠です。重要文化財指定。
足の病に草鞋(わらじ)をお供え
仁王尊(におうそん)
仁王尊 西光寺跡地のお堂に祀(まつ)られている石の仁王尊で、そのうちの一体は、昔、山崩れの際に地下に埋没されたといわれています。
毎年7月1日の千日会(せんにちえ)には、足の病を癒してくださると言い伝えがあり、この日には草鞋(わらじ)をお供えする風習があって平癒(へいゆ)を願う参拝者が今も絶えません。
大正天皇が立たれた
御幸山(みゆきやま)
御幸山(みゆきやま)
鏡神社の東側より細道を登ると古松がたくさん生えている所へ出ます。左右に古松を見ながら坂道を登る途中に「御野立(のだち)所」・「御幸山」と書かれた石碑が目につく丘の上に出ます。
ここが御幸山(みゆきやま)で、以前は宮山(みややま)と呼ばれましたが大正6年11月14日に近江湖東の地で陸軍の特別大演習が行われた時、大正天皇が、この宮山から大演習を統監(とうかん)されました。
当時の滋賀県知事が、この宮山を「御幸山」と命名し今日にいたってます。
天日槍(あめのひぼこ)を祀る重要文化財 義経も参拝した
鏡神社(かがみじんじゃ)
鏡神社
この神社の主祭神は、新羅(しらぎ)国の王子、天日槍(あめのひぼこ)で、相殿神が天津彦根命(あまつひこねのみこと)及び、天目一箇神(あめのひとつのかみ)が奉斉されています。
天日槍は、この鏡の地で陶器に適した土をみつけ従人達を、この地に留め、新羅の優れた製陶技術を伝え広めたと日本書紀に記述されています。
本殿は、南北朝時代の建築で国の重要文化財となっています。
鏡神社の御利益(ごりやく)は→
源頼朝・北条政子・足利尊氏も宿泊、紀伊徳川家の定宿、和宮様もご休憩された
中山道 本陣跡(ほんじんあと)
本陣跡
大和・奈良・平安・鎌倉・室町時代にかけ東山道(とうさんどう)の駅(うまや)として鏡は宿場として指名されていましたが、江戸時代(中山道になってから)は、宿駅から外されてしまい守山宿と武佐宿の間(はざま)の宿となりました。しかし、本陣、脇本陣が置かれ、特に紀州候(紀伊の徳川家)の定宿(じょうやど)で、皇族、将軍家の御名代(ごみょうだい)、お茶壷道中(おちゃつぼどうちゅう)をはじめ、多くの武士や旅人の休憩、泊の宿場でした。
和宮様の御降嫁の折も、この本陣でしばらく休まれていることが記録に残っています。
また、守山宿と武佐宿、それに石部宿(東海道)の助郷(すけごう)の役目も仰せつかっています。
このように宿場の指名からはずされながらも鏡は宿場町としての賑わいをみせていたため、間の宿なのに旅人を泊めていると、守山宿や武佐宿から道中奉行への申立があったということも記録に残っています。
鏡王(かがみのおお)を葬る
真照寺(しんしょうじ)
真照寺 日本書紀には、鏡王(かがみのおお)の娘、額田王(ぬかたのおおきみ)と記されていることから、社伝をみると鏡王は鏡神社の神官で、その娘、鏡王女(かがみのおおきみ)や額田王は、この神官家で育てられました。
万葉の有名な女流歌人、額田王は、この地の出身といえます。
父の鏡王は、後の壬申(じんしん)の乱(672)の時、大海人皇子(おうあまのおうじ)後の天武天皇側につき戦死し、この真照寺に葬られています。
6〜7世紀ころのもの
広谷池古墳(ひろたにいけこふん)
広谷池古墳
この地域は山ろくの至る所に古墳がみられ、6〜7世紀ころのものです。古代には豪族等が群居していたことがわかるますが、残念なことにほとんどが破壊されていて2〜3程度が現存している中の一つです。
鏡山から舌状(ぜつじょう)に延びてきている丘陵先端部に位置するところで、大きさは約4mの円墳で横穴式石室、両袖式の南に開口し全長約5.5mとなっています。
時期や出土遺物は残念ながら不明です。
湖国百選の一つ
星ヶ崎城址(ほしがさきじょうし)
星ケ埼城址 星ヶ埼城(ほしがさきじょう)は、鏡氏の居城で、佐々木定重(ささきさだしげ)を祖としてその子久綱(ひさつな)の居城でした。
観音正寺(かんのんしょうじ)の城の出城とか砦(とりで)ともいわれているもので、今は昔を偲ぶ石垣が西側に残るのと、わずかに礎石らしきものが目につきます。
眼下には軍事上の要所として城があったこともうなずける湖国百選の一つに選ばれています。
古道から東山道(とうさんどう)-中山道-国道8号今も続く
街道と鏡の里(かいどうとかがみのさと)
街道と鏡の里
旧義経街道と呼ばれた東山道(とうさんどう)86の駅(うまや)のひとつ「鏡」(かがみ)の宿場は、大和・奈良・平安・鎌倉・室町時代にかけて大変栄えておりました。
589年継体(けいたい)天皇が近江臣満(おうみのおみみつ)を東山道(とうさんどう)に遣わして蝦夷の国境を観させた(日本書紀)時、この街道を通ったと言われています。それ以前にはすでに道が拓かれており、多くの人が行き来していたことを伺うことができます。(古道)
江戸時代に入り、中山道(なかせんどう)となってからは、宿駅から外され守山と武佐宿の間(はざま)の宿となりました。
今、この鏡の街道の往事を偲ぶ面影は残っていませんが、只、本陣はじめ旅籠であったと言われる屋号の家が残っています。
それが、西から、桃花屋、加賀屋、
白木屋、樽屋、吉野屋、吉田屋、大黒屋、京屋、亀屋、その外商家、旅籠の区別がつかないものに河内屋、新屋、二階堂、玉屋、虎屋があり、商家と思われるのに壷屋、足袋屋等です。
古道から東山道-中山道-国道8号線と呼び名は変わってきましたが、今尚連綿と続いている街道。鏡は街道によって拓かれた里で、ここを往還する人は、それぞれ夢を描きながら通り、人々によって歴史がつくられ文化が生まれ守られてきたといえます。
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